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“ストーリー”:さあ進もう、前へ。もっと人生を愉しむために。

全労済とともに前へ進む皆さまに今の生き甲斐、これからの夢をうかがいました。

“ストーリー”数:37件

郡司 良さん

ドキュメンタリーと歩んだ半生。友情を大切に、人の思いを「社会の記憶」に残す仕事を続けていきたい。

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神奈川県在住

郡司良 (ぐんじ りょう) さん [87歳]

PROFILE
65歳まで映像製作会社でドキュメンタリー映画の製作に携わる。退職後は人とのつながりを大切にしながら、文化ボランティアなどに参加している。

労働運動が盛んだった高度成長期。
マイホームを建て、全労済に加入する

 僕は1961年に映像製作会社に入社して、65歳の退職まで映画プロデューサーとして働いてきました。ドキュメンタリーの製作が中心で、100本くらい手がけたと思います。海外のコンクールで入賞した作品などもあり、忙しくもやりがいに満ちた毎日でした。
 全労済は会社の労働組合を通して知りました。労働運動の盛んな時代で、組合活動していた人はだいたい全労済の共済に加入していました。僕もバリバリ組合活動していましたから(笑)、入社して間もなく全労済の共済に加入しました。
 妻と結婚して2人の娘が生まれて、家を建てたのが1970年くらい。住宅ローンを組んで建てました。家は子どもの成長や、家族が増えるのに合わせて増築しやすくなっているのが特徴で、雑誌にも紹介された自慢のマイホームでした。その時に火災共済(当時)に加入しました。

仕事中に妻からのSOS。
火事で家の書斎が黒焦げに

 全労済の火災共済に助けられたのは、それから5、6年経ってからです。家のそばの空き地で子どもたちがたき火をしていて、その火が風にあおられて家に燃え移ったのです。
 会社で仕事をしていると妻から「家が火事になった」と電話がありまして、びっくりして確認すると、すでに消防隊が火を消し終えた後という話でした。ホッとしましたが、安心はできず、飛び出すように会社を早退しました。
 家の中を見ると、僕の書斎の窓が壊れ、壁や柱が煙のせいで真っ黒になっていました。部屋中が水浸しで、黒焦げになった本が散らばっていました。
 妻が興奮冷めやらぬといった様子で状況を話してくれました。妻は消防隊が到着するまでの間、洗面器にお風呂場の水を汲んで必死に火を消していたそうです。幸い、燃えたのは書斎だけで、家族にけがはありませんでした。出火直後は2人の娘も家にいましたが、妻の機転で外に避難させたそうです。話を聞いて、妻が家にいてくれてよかったと心から思いました。

焼失物に対する「思い」まで
書き留めてくれた担当者に感激

 全労済に電話をしたのがその翌日です。すぐに調査に来てくれました。
 焼けたものの中には、仕事で集めた資料や、勉強に使っていた辞書や書籍、飾っていた絵など、大切なものや貴重なものがたくさんありました。全労済の担当者にその話をすると、どんなもので、なぜ大切だったのかと事細かに聞いて、内容をリストにまとめてくれました。焼失したものに対する自分の気持ちまで汲み取ろうとしてくれたのがうれしかったですね。
 その後、再建に必要な共済金を振り込んでもらい、書斎の修繕をはじめ小さなベランダを作ることができました。本当にありがたかったです。

人生、無病息災でいられない。
あらためて思う保障の必要性

 僕は子どものころに戦争を体験し、自宅を米軍の空襲で焼かれました。東京の町が焼け野原になったのもこの目で見ているので、昔から「人生はなにが起こるかわからない」という思いがあります。
 日本には社会保障制度がありますが、カバーしきれないところは保障に頼るなど、日ごろから備えておくことが大切だと思います。もし、保障に加入していない人がいたら「全労済に加入したほうがいい」とアドバイスするでしょうね。災害、事故、けが、病気……危険はあちこちにあるし、やはり人間、無病息災ではいられませんから。

生涯現役を目指し、社会に対して
自分ができることをやっていく

 今は2人の娘と別々に暮らしながら“独居老人の生活”を満喫しています(笑)。25年前に妻を亡くしてから「生涯現役で生きる」が目標です。
 料理は自分でやりますよ。数年前に転んで足をけがしてしまい、医者から「重いものは持たないように」と注意されているので、食材の買出しはヘルパーさんにやっていただいてますが、自分で食べるものはレシピ本を読みながら、自分で作ります。得意料理ですか? 「ビーフストロガノフ」です。意外と本格的でしょ?(笑)
 社会に対しても自分ができることで貢献したいので、文化ボランティアに参加しています。映画プロデューサーの仕事を通して、人の思いや記録を映像に残す仕事をしてきたので、その経験と人脈を活かそうと思って始めました。
 文化的な業績を残した故人の記録を集め、文集や映像にまとめる仕事です。今は映画俳優だった義兄の生前の記録を整理しています。直筆の短編小説なども見つかったので、関連する写真や資料と合わせて資料館に寄贈しようと思っています。生前はずいぶんお世話になった人なので、恩返しのつもりでやっていますよ。

 この年になると「人はひとりでは生きていけない」とつくづく思います。仕事や家族など、人のつながりの中で支え合いながら生きているなあと……。だから、いつまでも「人」を大切にしたい。年を重ねて疲れやすくなると、人と会うことが面倒になりがちです。でも、そんな時こそ、会って話す。海外で暮らすこともあり、友だちも大勢いるので、彼らとの付き合いも大事にしていきたいですね。

※ 掲載内容は2017年3月現在のものです。

編集後記

1年に2、3ヵ月はフランスやドイツで暮らすことがあるなど、海外生活も豊富な郡司さん。映画プロデューサーの仕事で培われた人との交流を大切にしながら、いきいきと充実した日々を過ごされている様子が伝わってきました。

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