RSウイルス感染に負けなかった息子にエール!家族で元気に成長する姿を支えたい

群馬県在住
大場 博之(おおばひろゆき)さん
[51歳]
- PROFILE
- 妻、5歳の長男、2歳の次男の4人家族。労働組合支部の書記長を務めながら、組合員の活動をサポートしている。趣味は18歳から始めたゴルフで、月1回のペースで職場の仲間と県内のゴルフ場に出かけている。
生後10ヵ月の次男がRSウイルス感染で入院。
家族で支え合いながら乗り越えた60日間
あれは2019年4月末のことです。生後10ヵ月の次男が、咳を頻繁にするようになりました。咳込むと止まらなくなるので、近所の小児科で風邪薬をもらい、しばらく様子を見ていたのですが、良くなりません。「どうやら普通の風邪ではない」ということで、大きな病院で、しっかりとした診断を受けることになりました。
その結果、「RSウイルス」に感染していたことがわかったのです。診てくれた医師から「RSウイルスは子どもが感染しやすい」「重症化すると呼吸器に悪影響がある」などの話を聞いて、次男の通っている保育園で流行していた時期があったのを思い出しました。ひょっとすると、そのときに感染していたのかもしれません。
そして、感染の拡大を防止するために、すぐ入院するようにいわれました。
入院期間は1週間の予定でしたが、結局10日入院することになってしまいました。というのも、RSウイルスはワクチンなどの特効薬がないため、治療中の容態で治ったかどうかの判断をしなければならず、次男の場合は、なかなか良くならなかったため、予定よりも長引いてしまいました。
ようやく退院できて、一度は安心したのですが、家にいると咳が止まらなくなることが度々ありました。それで、あらためて病院に連れて行ったところ、「ウイルスの影響で気管支が弱くなっていて、小児喘息の可能性がある」と診断され、再度入院することになってしまったのです。
それからは、症状が安定したら退院、悪くなったら入院の繰り返しでした。半年で6回、入院期間は合計で60日を超えました。
次男は、まだ10ヵ月だったので、妻が看病のために病院に泊まり込むことになりました。そして、長男の世話など、家事全般を私が引き受けることになったのです。
仕事は時短勤務に切り替えました。普段よりも収入が減る一方で、入院中の個室利用、1日1万円の差額ベッド代、付き添い用の寝具のレンタル費用等、出費は増えていきました。
スムーズだった共済金の申請と手続き。
柔軟に対応してくれた担当者に感謝
こくみん共済 coop
に問い合わせたのは、次男が入院した直後です。最初の連絡で、保障の対象になるのか確認をして、退院後に申請の手続きをしました。
問い合わせに応じてくれた担当者からは、「申請には、医師からの証明書が必要になるので忘れずに取り寄せておいてください」と、とてもわかりやすくアドバイスしてもらいました。共済金の請求は初めてでしたが、スムーズに済ませることができて助かりました。
もうひとつ助かったのは、合計6回の入院分のうち、後半の3回に関する共済金の申請をまとめて手続きさせてもらえたことです。それまでは、1回の入院ごとに申請手続きをしていたのですが、担当者に事情を伝えて相談したところ「入院期間のわかる書類があれば問題ありません」とのことで、柔軟に対応してもらえました。
多忙だっただけに、手間が省けてありがたかったですね。
医療費以外の出費もカバーできる共済金は、
子育て世帯の「セーフティネット」
私の住んでいる自治体では、子どもの医療費を補助してくれる制度があるので、次男の入院・治療は、その制度に助けてもらうことができました。一方で、通院にかかった車のガソリン代、差額ベッド代、外食費など、健康保険でカバーできない治療以外に必要だった生活まわりの出費は、共済金が役に立ち、とても心強かったです。また、共済に加入していたことで安心感が生まれ気持ちにゆとりが持てました。
保障に対しては「何かあったときのために、とりあえず加入しておこう」くらいの気持ちだったのですが、子どもの入院で、医療費以外の出費が予想以上に大きくなるのを知り、保障が子育て世帯の「セーフティネット」のような役目を果たしてくれることを実感しました。
労働組合の活動では、小さいお子さんのいる組合員に、こくみん共済 coop
の保障をすすめるようになりました。「子どもが入院すると、ボーナス1回分くらいのお金が出て行っちゃうよ」と教えると、みんな驚いて話を聞いてくれます。実際に保障に加入してくれた人もいます。
慌ただしい入院生活から1年が過ぎた現在は、次男も体力がついてきて、定期的な検査を受けるだけで済むようになりました。この調子で健康を取り戻してくれたらうれしいですね。元気いっぱいに遊び回れるように、妻や、これを機にお兄ちゃんになった長男も含めた「家族みんな」で支えていきたいと思います。
※ 掲載内容は2021年2月現在のものです
趣味はスポーツで、特にゴルフが好きという大場さん。職場の仲間と出かけることも多く、お子様の将来についても「プロゴルファーになってほしい」と楽しそうにお話されていました。いつか元気に成長されたお子様たちと一緒にゴルフができるといいですね!
バイク事故で「最低限の保障は必要」と再確認。定年まで元気に働きながら趣味も充実させたい
千葉県在住
齋藤 弘喜(さいとうひろき)さん [59歳]
- PROFILE
- 鉄道会社勤務。路線バスの運転手として勤務し、30年以上のベテラン。3年前に娘が結婚して独り立ちしてからは妻と義母の3人暮らし。休日は趣味のDIYを楽しんでいる。
通勤中のバイク事故で全治6ヵ月の大けが。
慣れ親しんだ道で「まさか事故に遭うなんて…」
2016年12月、スクーターに乗って会社に向かう出勤途中の出来事でした。
片側2車線の交差点を青信号で直進しているとき、突然対向車が右折してきて、目の前に飛び出してきたのです。あわててブレーキをかけ、ハンドルを切ったのですが間に合わず、横滑りに転倒したまま、スクーターごと車の側面に突っ込んでいました。
衝突の直後は、脚が痛くて動かせませんでした。スクーターはフロントフォークが曲がって廃車同然。偶然近くに交番があり、事故の様子を見ていたお巡りさんが、すぐに救急車を呼んでくれました。
運ばれた病院で検査を受けたところ、左脚を打撲していることがわかりました。脚が骨折していなかったのは不幸中の幸いで、その日のうちに治療を済ませて、迎えに来てくれた妻の車で帰ることができました。ところが、翌日になって今度は胸が痛むようになり、もう一度病院で検査を受けたところ、胸の肋骨が2本折れていたことがわかったのです。この胸の痛みは、胸部を固定するなど、治療を始めて1ヵ月くらいで改善しました。
予想以上に悩まされたのは、左足の打撲でした。最初は入浴したり、トイレに行ったり、家の階段の上り下りをするだけでも大変でした。痛みのせいでバスのクラッチペダルを踏むことができず、運転手の仕事ができなくなり、会社も休職することになりました。
介助を受けるほどの不自由はなかったものの、痛みが楽になるまで約3ヵ月。完治には半年近くもかかりました。
スクーター通勤は20年以上続けていて、通る道も走る時間帯も毎日ほとんど同じ。しかも、家から会社までの距離はたった7、8分です。そんな慣れ親しんだ道で、まさか自分が事故に遭い、これほど長引くけがを負うとは、思ってもいませんでした。
信頼できる同僚に相談して共済金を申請。
保障が休職中の生活の下支えをしてくれた
こくみん共済 coop
に共済金の請求したのは治療を終えてからです。その前に、労働組合の役員に共済金の対象になるのか問い合わせをしていました。役員からは「対象になるはずなので、今回は通院が終わったら病院の領収証を準備しておいてください」と説明を受け、書類の書き方などをアドバイスしてもらいました。支部の執行委員として、日頃から頼りになる同僚で、どんなことも安心して任せられる存在でしたから、手続きに関して不安に感じることはありませんでした。
申請から共済金を受け取るまでの期間は2週間くらいで、とてもスムーズな対応でした。事故で負ったけがの治療費は、車を運転していた側の保障から支払われたのですが、そのお金をもらえるまでに1年くらいかかりましたし、休職期間中は収入が減ってしまったので、その間の生活費を共済金で補うことができたのは、本当にありがたかったですね。
今回の出来事であらためて思ったのは、たった7、8分程度の距離でも大きな事故は起こるということ。そして、困ったときに一定の保障が受けられるこくみん共済 coop は「お守りのような存在」として必要だということです。手頃な掛金で加入できる保障は、日々の生活に使えるお金を増やすという点でもメリットがあります。まだ加入していない組合員には、こくみん共済
coop の保障を積極的にすすめたいと思っています。
健康を大事にしながら働きつつ、趣味も充実させていくことが目標
共済金のおかげもあって安心して暮らせるようになった現在は、普段どおりバスの運転手の仕事に励む日々です。68歳まで働ける職場なので、その年までは健康第一でいることが当面の目標です。
退職後の生活も、ゆっくりとですが考え始めています。会社のOBに聞いたのですが、家にずっといると奥さんに邪魔モノ扱いされるらしい(笑)ので、自分はそうならないように、アクティブに過ごしたいと思っています。
そんな理由もあって続けている趣味のひとつがDIYです。家や仕事場の片付けをしていて、物を置くための棚が欲しいと思ったときなど、よく自作しています。父親が大工だったので、モノ作りには昔から興味がありました。最近作ったのは家の下駄箱です。材料を揃えてゼロから作ったので、妻には「買った方が安いのに」と言われましたが、欲しいものを自力で完成させていくのは、達成感があって楽しいです。
自分も家族も大事にしながら、趣味の世界も深めていければ、と思っています。
※ 掲載内容は2021年2月現在のものです
趣味のDIYでは「設計図の寸法を間違えたまま、棚を作り始めてしまったこともある」と、うっかりミスのエピソードも話してくれた齋藤さん。そんな失敗もポジティブなバネにして、いつか奥様をうならせるような素敵な家具を完成させてもらいたい、と思いました。
家族と同僚に支えられ、失明の不安と闘う日々。希望を捨てず、いつか元の生活に戻りたい
栃木県在住
N.Nさん
- PROFILE
- 夫、娘、義父の4人家族。単身赴任中の夫に代わり、義父の介助をしながら、高校生の娘と暮らす。労働組合の書記局として、組合員の活動をサポートしている。
糖尿病で白内障と緑内障を併発。
それまで、当然だった日常が奪われて・・・
「なんだか周りが白くてボンヤリして見えるなぁ・・・えっ!右目が見えない!?」
家で洗濯物をたたんでいると、右目の視界にモヤがかかることに気付きました。それが少しずつ大きくなっていくような感じで、だんだん周囲が見えなくなってきました。
これはおかしいと思い、近所の眼科に行きました。先生に症状を伝えたところ「大きな病院で、しっかり検査を受けてもらったほうがいい」といわれて、翌日大学病院で検査を受けることになったのです。
検査の結果、白内障と緑内障を併発していることがわかりました。さらに、血液検査の結果、血糖値が異常値を示していたことから、その原因が糖尿病であることも判明したのです。
すぐに、目のレーザー治療を受けました。治療中は麻酔を受けていたものの、鼻の奥を突き刺すような痛みがずっと続いているような状態だったのを覚えています。
1度の検査で、3つの病気が見つかるとは思ってもいませんでした。とくに白内障は、高齢者のかかる病気だとばかり思っていたので、40代の自分がなるとは想像もしていませんでした。
失明の不安と向き合う日々。
人と話せること、働ける場所があることの喜び
翌日から3週間ほど入院しました。周りがよく見えないので、病室を離れるときは、廊下の手すりにしがみつきながらでないと動けませんし、食事では、スプーンですくった物を口に運ぼうとしても距離感がうまくつかめなくてこぼしてしまう、といった状態でした。今まで、できて当たり前だったことが、突然できなくなってしまったことがショックでした。
白内障の手術も受けましたが、病状の悪化を防ぐための手術だったため「良くなった」という感じはなく、終わった後も「私の目はずっとこのままかも・・・」と、不安な気持ちでいっぱいでした。
退院から2週間くらいで仕事に復帰できたのは幸いでした。とはいえ、目が不自由なので、文字を読むのが困難なのはもちろん、書類に字を書くときも、ルーペを覗き込みながら1文字ずつでないと、しっかり書くことができませんでした。そんな状態にもかかわらず、働く場所を与えてくれている今の職場には、感謝の気持ちしかありません。
周囲のサポートにも助けられました。単身赴任中の夫が戻ってきて家事をやってくれましたし、高校生の娘も、毎日、持参していたお弁当を自分で何とか用意してくれました。退院直後は、ひとりで洗髪ができなかったので、行きつけの美容院にお願いして洗ってもらうこともありました。
担当者が「保障の切り替え」をアドバイス。
共済金が通院をサポートしてくれた
こくみん共済 coop
に問い合わせたのは、仕事に復帰して1週間ほどしてからです。20年前に結婚をきっかけに「こくみん共済」の「医療タイプ」に加入していました。でも、今日まで保障のお世話になったことがなかったので、加入していたことをすっかり忘れていたのです。
ちょうど労働組合の事務所に出入りしている担当者と話す機会があり「保障の対象になると思うので、共済金を申請してはどうですか?」とアドバイスをしていただきました。
その日のうちに、夫に申請手続きをお願いしました。申請から共済金を受け取るまでの期間は2週間くらいだったと記憶しています。迅速な対応に助けられました。
もうひとつ助けられたことがあります。担当者から「今後も治療や通院で大変になるだろうから」と、保障の切り替えをすすめてもらいました。新しいタイプが登場したタイミングということもあり、掛金はやや上がるのですが、保障の内容が充実していました。
その後、白内障の手術を2度受けて、現在も通院しながら継続的に保障のお世話になっているので、切り替えをアドバイスしてくれた担当者には感謝しています。
今まで大きな病気をしたことがなく「まだ若いし、大丈夫だろう」という感覚で過ごしていました。でも、それは間違いでした。人生は何が起こるかわからない、だからこそ保障は必要なのだと実感しました。
視力を失う危険が去ったわけではありませんし、大変なことはたくさんあります。でも、家族や職場の仲間から元気をもらっているので、病気に負けるわけにはいきません。
最近、家で洗濯物をたたんだり、娘のお弁当を作ったりといった、日常の家事に意識を向けてみたり、職場の仲間とちょっとした雑談をするだけでも、気持ちがずいぶん楽になることに気付きました。希望を捨てず、元の生活に戻れるように頑張りたいです。
※ 掲載内容は2020年11月現在のものです
「いまの、暮らしに不安はないですか?」との質問に「家族を支えられる自分でいたいから、頑張ります」という言葉が力強く、印象に残りました。本当につらいとき、自分を支えるものは、大切な人を守りたいという「気持ち」なのかもしれません。元の生活を取り戻そうと奮闘するN.Nさんを応援したいと思いました。